未曾有の天災と人災と一言で表現するには、あまりにも悲惨な今回の被災状況をまず、第一に語り始めなければならない。
未だに行方不明者が、しかし、メディアに注目や登場されない、何とか生きながらえている人がおり、今の今も、救助を待っている人がいることを。
友人からの電話で、現地で被災者の救援、救助をされ、大津の知人を頼って支援依頼に来られた方と会った。
その女性は、自身も被災者であるものの、明日の生命維持が確実でない、近隣の被災者の救援に懸命にあたっておられて、人も物資も食料も水も何にもない現地での活動では、助かった命も助からないどうしようもない現況を何とかしたいとの一念で来津されました。
世界から、先進国、豊かな国といわれた日本でこんな状況であると、だれもが想像できないであろう。それほど今回の震災は、今までの、かの地での人たちの営みを消し去ろうとする程の広く、深く、長く、強力なエネルギーである。
救助や救援から復旧後のプロセスは、病気治療と同じで、多くの事例、失敗や成功事例を教訓に実施されるが、今回の災害は今までの事例が全くというほど役に立たない。おまけに、原発破壊という大きく、長期にわたる被曝による深刻な影響がある。
この悲惨な現状から、私たちは何をしなければならない、何ができるのかを全国民が真剣に考えよう。長期にわたって。
今、私にできるのは悲しいかな、その方にささやかなカンパしかできなかった。
現地へ行って救援できない分、今後とも続けていきたい。同胞としての責務から。
一方、被災に遭わなかった国内、特に都会といわれる町では、エネルギー多消費と、化石燃料に依存する今の暮らしをどのように転換するのか真剣に考えてほしい。
折しも、統一選挙の年、行政の行動を左右する議員がそのような視点で議論を展開し、将来の地方の、国のエネルギー需給のグランドデザインを描いて欲しい。
人に言う前に、先ずは足元の行動から始めよう、遅くありません。
車から自転車、TVからラジオ、暑さ寒をしのぐ厚着と薄着、木陰やすだれ、よしず打ち水の活用。ついこの間まで活用されていた日本人の知恵を思い起こすことも、大きなエネルギー節約であろう。
何せ、私も含む昭和時代を生き抜いた人は、今の生活は、天国・極楽の生活を通り越して、罰当たりほどの贅沢と時には感じているが、日頃は忘れたのか、忘れようとしているのか。
今の生活がいつまでも続かないことを、子や孫たちに伝えると同時に、貴重な体験を次の世代に申し贈りたいものだ、嫌がられても。