第1話 港からまちへ

「ラエルの物語」~マリツの挑戦と時のデザイン~

(京都精華大学 2011年度  まちづくりデザイン   テキスト)

 

作:堤 幸一

絵:谷澤紗和子


社会で働く前に、より多くの経験を積んでおこうと考えたラエルは、訪れた土地で働き、暮らす「グランドツアー」に旅立ちます。2年が過ぎ、ある人から「マリツ」のことを聞きたとき、いまだ手にしていない“リアルな感覚”がつかめるのではと期待しました。

 

1 何か素敵なこと

窓際に立ち、流れる雲をぼんやりと見つめる青年はラエルです。年は20代の半ばくらい。子どものような目をしています。

「マリツに行ってみたらどうだい!」乗り合わせた列車の中で、妙に気のあう男性に言われた言葉が彼をとらえました。そこでは、何か素敵なことが起きているようです。

行く先々で、優しい両親に手紙をおくる彼は、少し悩んだ末に、マリツ行きの船に乗る決心をしました。雲をみつめ立ちつくすのは、考え事をするときの癖でした。

“何かが足らない。だけど、このまちを最後にしよう。”

港の郵便局で、あと1年だけ旅を続けるという手紙をだし、船に乗り込みました。

船は人でごった返していました。やたら大きなトランクやかごをさげた商人たちが大半ですが、労働者や農夫のような人もいます。互いに知り合いらしく、大きな声で話しあっていましたが、一人乗り込んできたラエルに笑顔をおくる人もいました。

港で演奏していた楽団が最後に乗り込むと、船が動き始めました。この楽団は、港の見送り役ではなく、船専属だったようです。

 

 

 

 

 

 

2 初めてのマリツ

楽団の愉快な調べにのって、揺られること数時間、彼方にマリツが見えてきました。ひときわ目立つ山のふもとに中心部があり、少し離れて小さな集落が点在し、まちを囲む丘には、畑や草原が広がっていました。多くのまちを歩いてきたラエルには、何の変哲もない眺めでした。

“何か素敵なことって何だろう”デッキで身を乗り出していたラエルは、人をかき分けながら目新しいものを探しました。2年間の旅暮らしで、楽しいところ、美しいところを見つける“勘”は、それなりに身についていました。

「よし!まずはあそこだ。その前に、少し両替をして、腹ごしらえだな。」

港での審査は簡単で、健康状態を聞かれただけでした。どこの港にもある土産屋や食堂もなく、目立つのは馬と自転車、そして旧式の車に、なぜか一輪車でした。

「ここは初めてかい」キョロキョロしているラエルに、おじさんが声をかけました。

「両替と食事をしたいのですが」

「そうかい。だったら街のほうがいいな。乗り場へ行って好きなやつを選びな。」

最近の欧州では、馬や自転車が主役ですから、驚くに足りません。そして、旧式の車は、おそらく観光用でしょう。でも、一輪車にはどのような意味があるのかなあ。

 

3 自転車に乗って

客を次々と乗せている、笑顔のおばさんに聞いてみました。

「街へは、どれに乗ると良いですか?」

「どれでも好きなの選びなよ。料金は、全部同じだよ。」

ラエルは戸惑いました。“えっ、同じ料金?だって、車のほうが早いし楽なのに。”

「急ぐ人が、高い料金を払うわけじゃないの?」とたずねると。

「ここじゃあ、こうなんだよ。あんた初めてかい。それじゃあ自転車でどうだい。」

“なぜ、同じ料金なんだ?マリツ政府が補助金でも出してるのかなあ。”

首をかしげつつ自転車にまたがりましたが、まわりを見渡すと、車も、馬も、一輪車も、歩いている人も、すべて同じ速度で、車道いっぱいに広がっています。いずれにしても、“ゆっくり、同じ速度”でしか進めません。

“なるほど、道幅が狭いから何に乗っても同じなんだ。。。あれっ!一輪車に乗ってる人は足を動かしてないぞ!”良く見るとそれは、立ったまま移動できる車でした。

もう一度、ゆっくりとまわりを眺めると、どうも、年齢や健康に応じて乗り物を選んでいるように見えます。しかも、ゆっくり同じ速度ですから、互いに会話をしたり、まわりを眺めている人もいます。商人のトランクやかごは、まとめて馬車が運んでいます。

ラエルは、改めて、まわりを見渡しました。菜の花畑のじゅうたんに囲まれた一本道の、はるか右手には、木製の水車が連なり、大人と子どもが共に働いています。おそらくは家族でしょう。

彼は、疑問も忘れ、思わず「なんて美しい!」と声にだしていました。

 

 

4 時の知恵に出会う

まちまでは20分程度だったでしょうか。でも、ラエルはもっと長く楽しく感じました。ふと気がつけば、前のほうから順に乗り物を降りていきます。ラエルもならい、自転車を置くと、目の前に古ぼけた看板が立っていました。

“TIME IS NOT MONEY”

“時は金なり”という言葉は、もちろん知っていましたが、これは否定型です。くすっと笑いながら「間違えてるぞ」とつぶやきました。でも、彼のつぶやきが聞こえた人たちは、おやおやという表情で、やはり“くすっ”と笑ったのです。

ズタズタなバッグの中にお金を探していたラエルは、まわりの笑いに気づかず、いまだ、このまちの、“何か不思議なこと”を、はっきりと意識もできていませんでした。

-—- something wonderful —-

 

~ 考えてみよう ~

第1話 港からまちへ

物語では“デザイン事務所”という名前のデザイン事務所が、第2話に登場します

ところが、肝心の事務所長は最後まで姿を見せません

彼の役割は、皆さんが“何か素敵なこと”

見いだし、考えるお手伝いなのです

所長からの問いかけ

ラエルが最初に遭遇した“何か素敵なこと(something wonderful)”は、移動手段でした。

乗り物はどれも同じ値段、しかも、皆がゆっくり同じ速度で動いていますね。

高速料金の考え方を知る私たちの感覚では、早く着くために、お金を払うものです。

もっとも、最近はこの考え方も変わってきましたが(笑)鉄道は、そのままでしょう。

つまり、“時間をお金で買う”という発想です。

確かに、その理屈でいけば、どれも同じ速度だから同じ値段なのだというマリツのやり方も分からないではありません。

でも、何かしっくりこないでしょ?

マリツに隠れた知恵は何なのでしょう。

参考に、現代のまちづくりにおける自転車の役割を考えてみましょう。

世界各地で、早さを求めすぎた反省もあって、自転車の“ゆったり感”を見直す動きが始まっています。

排気ガス削減や交通事故防止、ひいては、イメージアップなど、様々な目的で自転車を導入するまちが増えています。

とはいえ、自転車は時速20km程度で走る金属です。

歩行者を脅かす対象が、自動車から自転車に変わるだけでは意味がありません。

歩行者と自転車が共存するまちは、本当に可能でしょうか。

自転車はスローな乗り物ですが、本当に安心でしょうか?

 
事例「みどりの人たちのテキスト(初版)」より
第〇章第〇項 自由な移動のための自転車