今年の学生の卒論テーマのひとつに「肉食」がある。
肉の消費量が増加しており、環境面や健康面からは減らすべきであり、「Meatless Monday」といった世界的運動の生起を追っている。そう、食で言えば、肉食から草食へを進めるべきなのである。あれ??草食系の増加はこういった意味では歓迎すべきなのじゃないだろうか。もしかすると、種として草食系になりつつあるのかもしれない。
いわゆる”肉食系”のイメージは、ギラギラして事業やプロジェクトを切り開いていく起業家、やり手の印象がある。自分がいちばんということで頑張る熱血漢である。この「頑張る」ことが余剰を生んで物質的豊かさを生んできたのではないだろうか。おだやかでおとなしい草食系の派生は、こういった成長時代から低成長期へ変わるアンチテーゼでもあるのかもしれない。
ここで、不要な文明の利器を使用せずに、移民当時の生活様式を保持し、農耕や牧畜によって自給自足生活をしていることで知られるアーミッシュの考え方が思い浮かぶ。地味であること、目立たないことが美徳とされ、個よりもコミュニティが優先される。ボタンさえも装飾的とされてフックしか用いない。この暮らしはもちろん、”草食系”に含まれるものの、草食系であるといったことをつきぬけた厳しさがそこにはあるように思える。もちろん、信仰があってこその暮らしではあるが、大事なことは家族やコミュニティのつながりである。そこが無ければ単なる家畜になってしまうのだ。つまり、他を押しのけていくような排他的スタイルから、家族や仲間、地域との関係を尊重していくようなつながるスタイルが求められている。つながるためには強さよりも弱さが必要であり、草食系であることはその方向にある。
ただし、孤食になってしまうのは危険である。群れで行動する動物にとって、孤立化は死を意味する。
草食系である若者に、肉食系になれと言うのは間違いである。むしろ、「共食系たれ」とすすめるべきである。