◎●○ ○○ はじめに ・  中野栄美子 ○○○●◎

長浜のとある医院の診台の上で揺れを感じました。院長が各室に地震だ大丈夫かと言いに回り…、
まさかそんな遠くの地震だなんて思いもよらず。
3.11あの日あの時間から世の中が大きく動きました。

間もなくカーボンシンクでは、被災地にソーラーランタンを届けたい と
『”ともしび”プロジェクト』を実施、≪何か動きたい≫有志が集まりました。【HP6/22参照】。

みんな何かしたいと思ったあの気持ち、今後も大切にしていきたいです。

そして、自然との共生、とよく聞きますが、
自然が共生してくれる人間になるために、知恵や制限のきく人間がすべきことは何なのか。

カーボンシンクでは、地球や私たちのまわりの自然環境に想いをはせ、よりよく暮らすとはどういうことか、
全体をみわたして考え行動していけたらと考えています。

 

 

= カーポンシンクメンバーからのメッセージ =

「大震災が示唆する文明の転換」
社会のあり様に関する議論の高まり   = 内藤 正明 =

3月11日の大震災は、これからの社会のあり方に根本的な問いかけをしたものと思われます.それは「社会構造」だけではなく、「精神構造」にまで及び、まさに文明そのものに対する議論に及んでいます。

さらに、このことは国内に留まらず、世界全体にも影響を与えました。

特に、被災地の様子をニュースで見た世界の人々は、あれだけの災害の中で、混乱も起こさずに皆が助け合いながら整然と行動している姿に、感嘆の声を上げたのはもっともだと思われます。

ハーバードの公開講義で知られるサンデル教授が、震災をテーマに講義をしていましたが、最後に教授が総括した言葉が印象深いものでした。

それは「この度の巨大な災害に対する日本人の行動、さらにそれを見た世界中の人たちの反応は、人類が他者にどれほどのシンパシーを持てるかを試した大きな実験であり、

もしかしたら、これが人類にとっての新たな倫理観の形成に繋がるかもしれない」という言葉でした。

この災害の多大な犠牲を無にしないためにも、これが与えてくれた教訓を活かさねばなりません。

● 3.11をどう過ごしますか?   = 近藤 隆二郎 =

まもなく3.11がやってくる。「あの日」から一年が経とうとしている。被害を受けられた方々は今このときもまだまだ以前の暮らしに戻れないという苦しい日々にあり、一年という日を振り返る余裕は無いのかもしれない。
一方で、関西など東北から離れている地方ではどうだろうか。何となく、以前と同じような日常に戻っている感覚ではないだろうか。

3.11はシステム社会を自分たちに取り戻す日にしてはどうだろうか。地域で助け合ったり、地域のものを食べたり、

そして東北における復興や悲しさに思いを馳せる、またつながっている人たちと情報交換するなど。
マスコミやネット情報だけに頼るのではなく、地域の小さなところから変わろうとしている芽をつかもう。

facebookやネット上では議論や批判が盛んだが、家族や隣近所の人たちともこういった話題をする、縁側や井戸端で語り合うことも大事な鍵である気がしている。
福祉や環境、宗教、産業、教育、ボランティアといった枠を越えた人びとが集まるのはどうだろうか。

あなたは3.11をどう過ごしますか。

「フクシマ」から10年後、海外メディアの報道   = 野口 陽 =

10年前の災害を契機に、日本は見事なまでのエネルギー転換を成し遂げ、今や世界有数の自然エネルギー大国になった。

街並みは自然の緑と空気の流れを取り入れ、最小限のエネルギーで冷暖房を行うシステムと、
日本各地に眠っていたローカルエネルギーの開発を促進し、集中型エネルギーから分散型エネルギーへの転換を成し遂げた。

ホンモノの議員を選び、議員の政治活動に関心を持ち支援し、
政治の仕組みを変えた国民自らが、「地方から自立を」と行動にした、エネルギーや食の「地産地消」   が出発点だった。

南北に長い日本列島は、世界でも稀にみる好条件の気候と急峻な地形と水系、火山列島の地下資源があり、
「考えは地球規模で、行動は足元から」を実践した結果だ。 』

このような時代となるよう願いを込めて。

● 大震災は「都市未来への指針」となるもの   =  日下部 笑美子 =

今月7日にニューヨークの国連本部で開催された「国連人間居住計画」(UN HABITAT)のハイレベル作業部会)(High-level Working Session)にパネリストとして出席しました。
気候変動や天災による災害増加に如何に対応していくかを念頭にした作業部会『都市未来への新しい思考方法・取り組み方』(Urban Futures: NewMindsets )です。

この機を捉え、日本の東北大地震後の例えば、宮城県栗原市の市民ボランティア・ネットワークによるヘリコプターでの翌日からの食料等の配送等、絆の大切さが国全体で意識された話、

又、滋賀県の琵琶湖の赤潮以来構築された環境、福祉、まちづくりの市民ネットワークの存在等を図で示し紹介し、

将来に向かっては、自治体はますます市民と共に都市戦略を構築し、不測の事態に備えていく必要があると思うとの話をしましたが、関係者にも他の参加者にも大変興味を持って頂けました。

日本には被災後どう立ち直っていくかを示す役目があるのではないかと思いました。


● お見舞い、被災地に想いを馳せて    = 進 浩子 =

この度の大災害お見舞い申し上げます。
いかがお過ごしでしょうか。

予想もしないあまり大きな災難に、私も涙しか出ない日を過ごしました。

命が助かっても、苦しい。どうしようもなくつらく、映像を見るたび、今でも涙が溢れます。
多くの物が無くなり、知人や親族が亡くなり、それでも自分の命がある。

涙が止まらないその中で、『それでも生きたんで!』という、どこからか沸いてくる元気を今静かに強く強く念じています

また一年また一年、一生懸命生きるしかない命です。
どうぞくれぐれもお体には気をつけてお過ごし下さい。

お会いできる日を楽しみにしています。

痛みを持ち続ける    = 吉橋 久美子 =

私が子ども時代を過ごしたのは、宮城県矢本町(東松島市)でした。昨年3月11日、私が住んでいた場所も、津波に襲われたそうです。

子どもの頃、仙台平野の田んぼを横目に通学し、お休みの日は海浜公園にいって桜貝を拾い、はるか遠くに見える水平線を眺めたものでしたが…。

震災、津波によって、当たり前の暮らしが根こそぎなくなってしまうという事態に直面しながらも力強く生きようとする方々を尊敬しています。もちろん、この現実を受け入れることに必死である方々のことも…。

また、原発事故によってエネルギーの根本を見直さざるを得ない状況となりました。このままではいけないという、普通の市民の感覚が受け入れられる社会であってほしいと思い、自分も行動していけたらと思っています。

私は少し離れたここ広島で、被災地と直にふれあう形での交流をしている団体に、微力ながら関わらせてもらっています。

被害にあっておられる方々を思うときの痛みを忘れずに持ち続けたいと思っています。

●  「荒野の1年」    = 堤 幸一 =

バイツゼッカー大統領の有名な演説に「荒野の40年」がある。

第2次大戦で、徹底的に破壊されたドイツの諸都市の、粘りづよい復興を称えたものだが、その一節に「レンガ女」という言葉が登場する。

一面のがれきを前に、茫然と立ち尽くす男どもをしり目に、女性たちは、記憶をたどり、レンガを元の場所に積み上げていった。

悲しみ、怒り、脱力、絶望、すべてを飲み込み、レンガを積んだ彼女たちこそ、第一の功労者だと最大限の賛辞を贈った。

もちろん、レンガを積んでも、お腹はふくらまず、お金にもならない。
それでも、記憶の再建から始めた彼女たちの姿を思うとき、身震いするほどの図太さと、人が本来もつ尊厳に圧倒される。

もう、1年だ。こんな話は、本来このタイミングではない。
いまごろ何をと言ってほしい。心のそこから、そう思う。

● 私たち本当にかわったの?    = 中野 栄美子 =

今、関西電力の福井原発、美浜・大飯・高浜にある11基、そして全国54基の52基ほどの稼働が停止しています。

仮に地震があったことを忘れたら、原発が発電していないことも気がつかないほど意外と普通に暮らしてないでしょうか? その陰では火力発電の比重が大きくなっているのに。

様々な会合のはじめに『震災以降私たちの暮らしは大きく変わりました』と聞きますが、ちゃんと変えられているのかなと疑問でなりません。

震災は原発の人への影響のニュースになりがちです。だけど歴史的建造物や、自然環境の喪失・損失、海岸や海中の変化などありとあらゆる価値や暮らしに影響し途方もないことです。

それでも個人で出来ることは、
自分自身が日常の暮らしにどう向き合うか、被災地の暮らしを想像し続けることだと信じて行動したいと、
ヨクミキキシテワカリたいと思います。