第6話 休日を楽しむ

「ラエルの物語」~マリツの挑戦と時のデザイン~

(京都精華大学 2011年度  まちづくりデザイン テキスト)

 

作:堤 幸一
絵:谷澤紗和子

 

1 再び港に行く

マリツにきて8日目にダウンし、その日の昼に退院し、翌日には港へ戻り、スウェイさんのところで働くラエルは、ちょうど100日目のこと、初めて雨ではない休みをいただきました。

下宿の窓を開けると、丘の上が光っていました。空の畑では、菜の花から種を採る仕事も終わり、次の野菜の芽が伸び始めています。ラエルはミルク・バーで朝食をとると、迷わず丘を目指しました。竜の川沿いに、まちを抜けると、そこは風の谷です。 

ラエルの感覚は、ますます鋭く、以前なら見過ごしていたものが目に入ってきます。竜の川に流れ込む小川には、人の背丈より小さい水車が並び、まるで機関車の車輪のようです。

土手には、風車が立ち並び、わずかな風も逃しません。

ここには、まちの喧騒も届かず、自然の音が溢れていました。目をつぶって立っていると、遠くから人の声が聞こえてきました。

「こいつあ、難しいぞ。“おくり”かなあ。」

しばらく歩くと、小川の際に緑色の服を着たがっしりした人が、工具を手に何かやっていました。

 

2 またも緑の服に会う

以前、港で、ラエルに“オールド・ポート”を教えてくれた人でした。

「こんにちは。何をされているのですか?」

「まあ、いろいろさ。今日は発電所の修理ってとこだな。」

ラエルはてっきり、水車か風車の電気かと思いましたが、

「いやいや、地下水力だよ。竜の川の地下には発電所が埋まっているのさ。見るかい。」

素晴らしい技術です。竜の川を流れる水を、いったん地下パイプに引き込みタービンを回して、川に戻すのです。おまけに、河底の下を流れる伏流水を集める“しかけ”まであるようです。

「そうさ。川をせき止めるダムは造らなかったんだ。だって、この谷の美しさを見ろよ!」

ラエルが賛同の声をあげると、他の仲間も集まってきました。みんな緑色の服です。

「でもな、このダムも、ぼちぼちなんだ。ニューポート倉庫にある部品が尽きたら、“おくり”の運命さ。」「“おくり”って何ですか?」

緑の人達は、彼らの仕事を話してくれました。まちじゅうの、建物や機械や乗り物の修理は、すべて自分たちの手にかかっていること。その多くが寿命を迎えつつあること。“おくり”とは、それらを処分すること。自分たちは、それらの技と魂を記録する責任があること。すべてが驚きの内容でした。

 

「もしかしたら。。。あなた方はマイスターですか?」 

「よしてくれよ!俺たちゃ、ただの機械屋さ。さてと、仕事にかかるか。」

ラエルは、丁寧に礼を言って、その場を立ち去りました。再び土手に戻ると、水車や風車越しにマリツが見渡せます。ここは、まさに村の心臓でした。自然に溶け込んだ機械たちが、静かに電気を届けていたのです。

“でも、部品がいずれなくなると言ってた。この村の電気はどうなるのだろう?どうして、このような素晴らしい技術をうけつがないのだろう?“

 

 

3 空の畑で再会する

土手沿いの道が、竜の川から離れ、登り坂にさしかかると、対岸が見えてきました。ひときわ目立つ高い峰は、マリツの信仰を集める神の山です。ふもとには何かの建物の屋根が、時折、光っています。この村にはラエルの知らないことが、まだ沢山、あるようです。

空の畑には、お昼前に着きました。

「ラエルじゃないか!元気にしてたかい。うれしいなあ、おーい。皆んな、お昼にしよう!」

100日前、彼を親身に扱ってくれた人たちに囲まれ、楽しい昼食が始まりました。

「俺は、てっきり、お前はジャンタラーだと思ったんだ。だって、そうだろ。熱心に働くし、ヘポと同じ日にやってきたんだぜ。」

「ヘポはいま、どうしてるんですか?」

「うん。次の仕事にいったよ。彼のおかげで俺たちの畑は、すごくいい調子さ。ジャンタラーと一日でも一緒に働けたら、こんな幸せはない。」

おじさんは、神の山に向かって手をあわせました。

「ところでラエル、いまどうしてるんだい?」

ラエルは、療養所に入ったこと(いまでは、正直に話せます。)スウェイさんのところで働いていること。今日は休みで、村にきて100日目であることを話しました。

「おいそりゃ、100日休みだぞ。おめでとう、ラエル。おーい、ワインだ。ワイン!」

 

4 機械と自然は同じ?

全員、手を休めました。“畑の仕事は大丈夫かなあ”ラエルは少し心配ですが、祝ってくれる人達に、そんなことは言えません。ワインを飲みながら、先ほどの緑の服の人達の話をしました。

「うん。あいつら、大したもんだ。その点、奥谷の奴らときたら!」

“奥谷?”ラエルが聞こうとすると、おじさんは肩をすくめて。

「いやすまん、ラエル。余計なことだ。緑の奴らが世話してるのは、建物や、機械や、乗り物だけじゃない。あいつらは、まわりの自然にも目を配ってるんだ。」

おじさんが言うには、自然を再生し守る「ビオトープ」という技術があって、それは機械の修理と根っこが同じらしい。他の生き物の生き様を知り、心を読まないかぎり、自然は再生できない。

機械は人が生み出したように思えるが、それは大きな勘違いだ。緑の人達は、機械を修理するたびに自然を読み、自然に学ぶ。まさに、自分たちの仕事である農業と同じだ。まわりで騒いでいた人達も、静かにうなずいています。ラエルもうなずきながら、農場の入り口にあった“時の知恵”の意味を知りました。

「今日は、河底発電所の機械を直してたよ。」

「なるほど。あの機械と俺と、どっちが先にくたばるかだな!」おじさんは高笑いしながら

「ラエル、あいつらの仕事はすごいだろう。。。そうか、じっくり見たわけじゃないんだな。この次は必ず横にいろ、真剣に見ろ。ヘポも、いずれ、あの仕事を学ぶはずだ。」

 

やおら、おじさんは立ち上がり、まわりを見渡しながら。

「昔、ここは一面、大工場だった。あそこにある“民の湖”は、人工のダム、竜の川はコンクリートで固められた。」ひと息おいて、今度は、つぶやいた。

「そして、あの“天の丘”には、大砲があったんだ。」

 

 

~ 考えてみよう ~

第6話 休日を楽しむ

空の畑のおじさんが言った

“緑のひとたちは、機械を修理するつど、自然を読む、自然に学ぶ”

とは、どのようなことでしょうか。

所長からの問いかけ

最近よくつかわれる言葉に“自然との共生”がありますが、あなたはどのようなイメージをもっていますか?現代人は、他の生き物に対して「やさしさ」と「傲慢さ」の両方を持ち合わせています。おまけに、自分の立場ひとつで「やさしさ」と「傲慢さ」を入れ替えます。害虫という表現は、その最たる例でしょう。(もちろん、農業批判ではありません。人が生きるために仕方ないことです。)

“自然保護”という言葉は、人間の立場を明確にしますが、「共生」は他の生き物との関係の中で表現され、使い方次第では、かえって危険な概念です。

では、ラエルが緑の人に教わった「ビオトープ」とは何でしょう。言葉の定義は、バイオ・トープ(bio-tope)すなわち、生き物の生きる「場所」で、ある生き物が、ある条件のもとで生息する環境を指しますし、それらを再生・創造する「行為」を含むこともあります。

とはいえ、ビオトープは、ビルの一室で人工的に光や温度、湿度や風の環境をつくることではなく、できるかぎり人手をかけずに、人工的な動力を用いることなく維持されるものです。

そのため、実現可能な自然の姿を探るため、の場所や周囲に残る自然から将来像を仮定します。次に、その将来像に至るまでの変化・変遷を想定します。ところが、思いもよらぬ植物・生物が根付き、将来像の修正を余儀なくされることも多々あります。

さあそれでは、おじさんが言った

“機械を修理するつど、自然を読む、自然に学ぶとは”

どのような意味でしょう?

事例「みどりの人たちのテキスト(初版)」より

第〇章第〇項 生き物と暮らす、第○章第○項 生き物に学ぶデザイン