本業のかたわら、10年以上、大学で講師を続けてきましたが、いくつかの大学にまたがり作成してきた環境やまちづくり資料を素材に、3年ほど前に全体をつなぐ物語(テキスト)をつくりました。

受講生が感情移入しやすいよう、登場人物は同年代の男女3人を中心に、マリツという架空のまちで起きる出来事を題材として講義を進めます。
小さなマリツは、長い歴史をもつ、平和なまちでしたが、ある争いが元で、“壊滅的な打撃”を受けます。主人公のラエルが、このまちを訪れるところからスタートしますが、話の中で、ちょいちょい“緑の人たち”という不思議集団が登場します。この人たちは、マリツを襲った“壊滅的な打撃”から、まちを回復するため、日夜働く専門家の集まりですが、技術屋でありながら、修業僧のような佇まいを持ち合わせています。
マリツを題材にした講義は、幸運にも学生の賛同をえて、3年目を迎えるのですが、今年は、全体の物語とは別に、緑の人たちに迫ります。具体的には、緑の人たちの「技術書」を編纂したいのです。彼らには、仲間同士の妙な一体感と裏腹に、ある種の閉鎖性も感じます。職人の口伝や、寺院の聖典のような、“秘してこそ”といった趣は、何としても表現したい。

東日本大震災は、「技術」のもつ2つの側面が同時進行しています。
想定外の自然の力の前に、為すすべもなく崩れ去るのも「技術」、その一方で、自然に潜む力を制御不能なまで暴いてしまったのも「技術」です。自然の力を引き出し、人のために生かすという、技術の本質は、これから先も変わらないでしょう。
一介の技術者にすぎない(最近は「ソーシャル・デザイナー」と自称)私には荷が重く、「技術書」どころか、いくつかの問題や課題提示までが関の山でしょうが、昨年度から受け持つ、立命館MOT(Management of Technology)大学院で与えていただいたテーマが、「環境技術マネジメント」であり、これはもう、学生の皆さん方の知恵と元気を借りてでも、勇気を奮い立たせるしかありません。
“隗より始めよ”という言葉があります。弱小国の燕を立て直そうとする昭王に、学者の郭隗が「まず、自分(郭隗)を抜擢すれば、世間の有能の士は、あの郭隗程度の者でさえあれほどの抜擢を受けるのだ。自分が行けばさらに優遇されるはずだと考えて、天下の士が集まるでしょう。」と言った故事に由来するものです。現代では、“できることから始めよう”という意味あいで使われることが多く、私も、まずは、始めてみます。