第8話 ひとりの自分の力を知る
「ラエルの物語」~マリツの挑戦と時のデザイン~
(京都精華大学 2011年度 まちづくりデザイン テキスト)
作:堤 幸一
絵:谷澤紗和子
1 またも声をかけられる
マリツの暮らしも200日を経て、ラエルは、このまちの不思議な魅力にとりつかれていました。
先日行った奥谷の人たちにも、ある種の恐れを伴うものの、どこか憧れを感じます。会社の窓からボンヤリ奥谷を眺めていると、“配達を頼む。今度は、トュディー村だよ!”スウェイさんが、2つの大巾着(きんちゃく)をドサリ!1つの小巾着をポトリ、と置きました。
トュディーは、海に面した漁業の村です。プリングスが書いた地図は、奥谷と同じ峠を越えるルートでしたが、ふくろうの笑顔が頭から離れない彼は、神の山の南側を歩くことにしました。
に来ると、突如、凄まじい風がラエルを叩き始めます。
“プリンが言ったルートにすれば良かった”と思った
矢先、またも、不思議なことが起こりました。
彼の体が、風で削られて、みるみる細くなり、つい
には、“針金”になってしまったのです!よろよろの
体で懸命にトュディーが見下ろせる尾根までたどり
着くと、頭のうえを大きな岩が覆っています。岩の上
には、少女がひとり。
「おまえ。どこにいくんだ?」
針金のラエルが、ひきつった声で“配達だ”と答えると。
「そうか。」と消えました。寄り添う“鹿”が、またも笑います。途端(とたん)に、風が止みました。
2 はるか昔のこと
冷たい汗が流れ、脇目もふらず、声も出ず、
やっとのことで配達先の扉をたたくと、お婆さん
が現れました。
「ラエルだね。待っていたよ、おはいり。」
かなりの高齢で、背も曲がっていますが、声には、
凛(りん)とした響きがあります。彼が椅子に腰かけ
ると、少女がお茶を運んできました。一瞬、息が止
まりましたが、先ほどの少女とは違うようです。
一口ふくむと、海の香りが心と体を温めます。
「配達は、今日で二度目です。最初は奥谷でし
た。」
「おやそうかい。奥谷はどうだった?」
「噂とは、随分、違っていました。皆んな優しいし、コンゼ寺のテキパキとした仕事ぶりも気持ち良かった!」
「そうじゃろうて」お婆さんは、笑顔で話し始めました。
トュディーは、大昔、マリツから遠く離れた北の大国(たいくに)から、船で下ってきた人たちで、海岸沿いの土地に住みつき、若い世代が育つと再び海に出ることを繰り返し、歴史は2000年を下ることはないそうです。
驚いたことに、奥谷とトュディーは、もとは同郷で、奥谷の人たちは馬で山を越え、マリツに辿り
着いたとのこと。長い旅路の終着点で、2つの民(たみ)が2000年を経て再会したのです。今で
は、言葉や振る舞いも違いますが、流れる血は同じだったのです。
3 技に生きるひとたち
「奥谷とトュディーは、なぜ、北の大国を出たのですか?」
「技を広めるためと聞いとるのお。」
「わしらは奥谷との再会を喜び、気候の穏やかなマリツで共に暮らすようになった。奥谷は“森の技”に長け、トュディーは“海の技”に優れておる。それは素晴らしい村じゃった。」
お婆さんは、民を率いる由緒ある家系の娘で、奥谷の“森の魂を継ぐ”男と結婚しました。このことは、ひと組の夫婦が生まれた以上の意味をもち、2つの技が融合したことを示しました。
ところが、“あること”をきっかけに、マリツは“速度の時代”をむかえます。
そして、20年後に“灰色戦争”が起きるのです。
「速度の時代でも、灰色戦争でも、わしらの技は、おそろしいほど役にたった。」
奥谷では、“灰色戦争”に対する被害者意識を感じましたが、トュディーでは、むしろ、加害者としての責任を感じたようです。自分たちの“技”がもつ力さに、むしろ、おののき、戸惑い、ついには、その意味を深く理解したのでした。
“技に生きる自分たちこそが、技の力を封印(ふういん)すべきだ。”森の魂を継ぐ男は、重い決断を下し、灰色戦争の終結を願う人たちの希望を一身に集めました。しかし、直後に、この英雄はコンゼ寺で命を落とすのです。戦争は、早期終結の機会を失い、泥沼化していきました。
思わず、ラエルは大きな声がでました。「でも、彼は英雄でしょ!」
「もちろんじゃ。だからこそ、わたしは、残りの人生を、彼の魂を継ぐ男を育てることに命をかけたのじゃ。」
なった
“速度の時代”の技を、わずかを残し封
印しました。
いま、村を支える技術の大半が“一馬力
の技”と呼ばれ、人間ひとり分と馬一頭
分の動力しか使いません。
「皆が言うように、ここまで遡る必要はな
いかもしれん。でも、ラエル。。。」
窓から水車小屋を眺めながら言いました。
「これで、十分、暮らせるぞ。」
空の畑のおじさんの“奥谷の連中ときたら”という言葉を、笑いながら伝えると。
「兄弟喧嘩みたいなもんじゃ。やり方が違うても互いに認めおうとる。心配無用じゃよ。」
ラエルの頭をなでる姿は、まるで自分の孫に接しているようでした。
「技は神から与えられたもの。人は、ただ素直に、それを生かせばよい。」
「万事(ばんじ)、控え目な“一(いち)馬力(ばりき)の技”は、家で光る。家にこそ技は根づく。わしらは、そこを忘れた、戦争まで至った末に、やっと思い出した。だからこそ、“一馬力”から、やり直すのじゃ。」
ふと、まわりを見ると、大勢の人たちが静かに耳を傾けています。
「わしらは、みな家族じゃ。この村に森の魂は生きとるぞ。」
少女が、ラエルのお茶を注ぎ足し、木の実の乾し菓子をもてなしました。壁には“時の知恵”が掛かっています。
「ただのお。わしらでも、あとしばらくはユーロが必要じゃ。家の再生は、意外と時間がかかる。慌てず、慌てずじゃ。」
お婆さんは、ラエルが持ってきた、小さい巾着袋に手をおき。
「わしらのギフト税は少ない。大したことはしとらんからなあ。」
“決して、そんな。。。”とラエルは思った。
トュディーの人たちは、毎月、総出(そうで)で山に向かうらしい。奥谷の手ほどきで、山を手入れし、木を植え育てているのだ。戦争で山が荒れたとき、ほとんどの昆布や貝が死んだ。森と海はつながっている。
総出のことを“山入り”と呼び、小さな子供も連れていく。再生するのは山だけではない。2000年を超えた同胞(どうほう)の絆(きずな)を、たった一度の戦争で失いたくないという思いがあるのだ。
「お前が飲んだお茶には、ここの海の昆布や貝が入っておる。うまかろう。」
ラエルが大きくゆっくりとうなづくと、おばあさんが言った。
「それが、“森の魂”の味じゃ。」
~ 考えてみよう ~
第8話 ひとりの自分の力を知る
マリツは、畑、森、海の恵みで成り立っています。
一方、畑、森、海から、まちはどのように見えるのでしょうか。
あなたも、トュディーの気持ちになってみましょう。
所長からの問いかけ
今回、ラエルが向かった先はトュディーという名の漁村です。2000年前は、同胞であった、奥谷とトュディーが“技を伝える”ため、長い時間をかけて南下するさまは、さながら、ローマ帝国かキリスト教の布教を思い起こさせます。
2つの民は、再び結ばれ、山の技術と海の技術が融合する、最強の技術者集団となりますが、灰色戦争のあとで、共に、自分達の昔の暮らしを取り戻すべく努力を始めるわけですが、両者は微妙な違いをみせます。
両者の違いはどのようなもので、どこから生まれたのでしょう?
トュディーが大切にする技術は、“一馬力の技”です。何かを作ったり、運んだり、エネルギーを得たりするときに、過大な力を使わないということでしょう。
一馬力の技を中心とした村の暮らしは、どのようなものでしょう?
奥谷で生まれ育った、森の魂を継ぐ男は、物語後半の重要な登場人物です。すでに死んでいるにも関わらず、マリツに極めて大きな影響を残しています。壁にかかる“時の知恵”は、彼が残したものなのです。
さて、今回は、どのような知恵が込められているのでしょう?
ところで、前話の少年に続き、今度は少女が現れました。
この子供たちは、まちとの境界にいて、それぞれの村を守っています。
灰色戦争に関わった人たちが、少しずつ登場してきます。
事例「みどりの人たちのテキスト(初版)」より
第〇章第〇項 人力のものづくり