第9話 天の丘に希望をみる

「ラエルの物語」~マリツの挑戦と時のデザイン~

(京都精華大学 2011年度  まちづくりデザイン テキスト)

 

作:堤 幸一
絵:谷澤紗和子

 

1 トュディーのことを話す

デザイン事務所のガラス越しに、天井際の時計を眺めているのはラエルでした。落ち着かないときや、頭がモヤモヤするとき、“ラエルの時計”を見ると、気持ちがゆったりしてくるのです。事務所で働くプレディは、優しい目線で、あえて彼には声をかけません。

ラエルは、例の巾着(きんちゃく)袋(ぶくろ)を提(さ)げ、空の畑に向かい、歩き始めました。彼のモヤモヤは、この巾着が原因のようです。“森や海で働く人たちが、ユーロを沢山使うのはなぜだろう?自然に囲まれて、まちより、はるかに自給自足なのに?”

思いきって、空の畑のおじさんに聞いてみました。

「俺もユーロはいいと思っとらん。その点、オーミは、みんなで使うほど価値がでる。食べ物をつくる俺らこそ、ぜひとも、オーミだけで暮らしたい。でもなあ。。。」

おじさんは、足元の土を軽く握りしめ、畑を見渡してから、振り向きました。

「そうだ!お前さん、トュディーに行ったらしいな。お昼を食べながら聞かせてくれよ。」

畑の人たちは、トュディーに関心が高く、幾重(いくえ)にも人の輪ができました。ラエルは、村のお婆さんに聞いた2000年の歴史を話しました。“森の魂を継ぐ男”ではみんなの眼が輝き、灰色戦争には顔を伏せます。奥谷との関係を“あれは、兄弟喧嘩じゃ”と言われたくだりでは、おじさんは苦笑いして頭を掻きました。話の最後は、トュディーの仕事ぶりでした。

 

「海藻(かいそう)茶(ちゃ)をご馳走になったあと、“一馬力の工房”に行きました。川にせり出した小屋に、水車の力で臼(うす)をひく機械があって、固い貝殻を砕いていました。山に撒(ま)くのだそうです。他の工房も、すべて水車で動いていて、電気はほとんど使ってないようでした。」

若者が聞きます。「工房はいくつあった?」

「数え切れません、でも、ざっと、30ほどは。。。」

驚きの溜息が聞こえます。

もう一人が小さな声で。「俺は、奥谷でも見たぞ。」

ラエルが彼のほうを向き「ええ、公社の裏ですね。」

下を向いたままのおじさんに、ラエルが声をかけました。

「だけど、おじさん!空の畑のおかげで、トュディーは灯(あか)りがともるって言ってたよ。魚油(ぎょゆ)は煙が大変だから、空の畑には感謝しているって。ただ。。。トュディーも、ユーロは使っていたなあ。」

 

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考え込んでしまったラエルに、おじさんは言いました。

「仕方ないさ。電気風車の修理は、緑の人しか無理だからな。。。だけど、ラエル。俺らの菜種油を、トュディーの昆布と交換するときはオーミでさえ使わんぞ。互いに、一番大切なモノの交換に金なんぞ、クソくらえさ!」

ラエルの目が、ほんの少しうるみました。

「俺たちも、捨てたもんじゃないだろ!」おじさんは高笑いです。

 

2 大工場が栄光だったころ

おじさんに絶対に聞こうと思っていたことが、もうひとつありました。

「前に、“ここが大工場だった”って言っていたけど、何をつくっていたの?」

「そうか、お前もボチボチ知っといたほうがいいな。」

おじさんはゆっくりと話し始めました。それに合わせて、昼休みを終えた仲間たちが、少しずつ仕事に戻ります。

 

“速度の時代”のころ、空の畑は、“機械”の製造工場でした。ひと尾根(おね)越えた集落で採れる鉱物を使った製品は、素晴らしい技術と相まって、どこにもない品質を誇り、毎日のようにニューポートから輸出されました。

はじめ、10人だった工場は、最盛期は2000人規模になり、近隣から働き手を募りました。

空の畑はすべて工場になり、足らなくなった農産物は海外から輸入し、マリツは空前の景気で、財布にはユーロがあふれました。

「工場は、おそろしく水を使うから、上流の湖をせき止めたダムからパイプで運び、竜の川は汚れた水をサッサと流すためにコンクリで固めちまったのさ。」

「ところがだ。ある日突然、工場が閉鎖しちまった。」

「えっ、何があったのですか?」                                      

「ものすごく恐ろしいことさ。心から“神のたたり”を信じたよ。」

瞼(まぶた)がふるえている。思い出すのも辛いようだ。

「あんときのマリツは悲惨だった。食べ物を買う金が尽きたうえに、畑が足らない。困ったあげくに、まちじゅう総出(そうで)で大工場の屋根を剥ぎ(はぎ)、壁を倒し、床をめくって、何十年ぶりに、土に陽(ひ)をあてた。」

沢山いた仲間の輪は解け、気づけば、ラエルとおじさんの2人だけでした。

「それはもう、土じゃなかった。」

 

3 土を取り戻すために

床をめくった瞬間、鼻をつく異臭が漂い、目から涙があふれ、吐き気を催す人もいました。光も風もあたらず、生き物は死に絶え、そのうえ、一面に工場廃液が浸み込んでいたのです。

人々の努力にも関わらず、死んだ土に種は出ず、まれに芽生えても、すぐに枯れました。

マリツは“人が住めないまち”になってしまったのです。

多くの住民が、まち見限り、船や車で逃げ出すなか、最後まで残ったのは、2000年の時を経てここに辿り(たどり)着いた「北の大国」の民(たみ)でした。彼らは、経験したことのない難問に立ち向かいます。土の毒を取り扱うため、技術者自身が病いにかかることもありました。

ラエルが倒れたときに世話になった「ブーリン療養所」は、その時にできたものです。

奥深く浸みこんだ毒は、簡単には抜けませんでした。追い込まれた彼らは、汚染されていない場所の土を集めて、肥料を与えながら、健康な土を少しずつ作り、工場跡地のうえに敷き詰めることにしました。

土を作る場所は、空の畑に近い小さな丘で、風通しも、日当たりもよく、奇跡的に土もきれいでした。灰色戦争のときには、大砲があった因縁の地ですが、マリツの人たちは、希望を込めてここを“天の丘”と名づけました。

 

4 天の丘でヘポに会う

“ここにくるまで、20年かかった”この言葉を残して、おじさんは仕事に戻りました。若いラエルに、20年の重みがどれくらい伝わったでしょうか。

いまも天の丘には、まちから“肥し(こやし)”が、奥谷から柴や下草が、トュディーから海藻が届き、土をつくり続けています。努力の甲斐あって、工場をつぶして10年後に、やっと、まともな作物が実りましたが、畑の人たちは、毎日、この仕事を欠かしません。

マリツの上水は、多くが井戸でしたが、工場の下流側では、ほとんどが使えなくなっていまし

た。まちへは、民の湖のダムを取り壊し、新たに水路を引きました。コンクリートを剥いだ竜の

川は、生き物が戻り、少しずつ、水質も良くなってきました。

 

 

something wonderful something wonderful

 

地下の解毒には、“違う種類の毒”が有効なことも分かってきました。土を掻きほぐすには大変な動力が必要で、石油燃料も足りません。実のことろ、空の畑のユーロは、大半が解毒作業に充てられていたのです。

マリツが、マリツを取り戻すには、膨大な時間が必要でした。

 

深い溜息をついたラエルが、やっとのことで顔を上げると、天の丘で働く緑の人が目に入りました。土の成分分析でしょうか、彼らはいつも実直に、黙々と仕事を進めます。真摯に汗をかいています。ラエルには、この丘が光り輝いて見えました。まさに、マリツの“希望”なのです。よく見ると、緑の人たちの中に懐かしい顔を見つけました。

ヘポでした!

「久しぶりだなあ。いまは、緑の人たちと一緒か い。」

「この仕事は、絶対にやっておきたかったんだ。君も元気そうだなあ。」

「スウェイさんの仕事は、僕にぴったりだよ。おっと!もう帰らないと。」

「ラエル、ぼちぼち“200日休み”じゃないの?」

「ああ!明日からだよ。明後日は、プリンが町を案内してくれるんだ。」

「だったら、週末に“希望岬祭り”に一緒に行かないか。マリツ一番の祭りだよ。」

天の丘のたもとには、時の知恵が立っていました。

 

ラエルは、配達から戻り、スウェイさんの会社を出て、いつものようにミルク・バーで夕食です。

今日のメニューは、“豆とカリフラワーとジャガイモと人参のスープ”ですが、なぜか口につけずに、目を細めて眺めています。

「おや、ラエル。見てるだけじゃ、お腹はふくれないよ!」

「レボ(levo)おばさん。野菜が皆んな光ってるんだ。」

「なに言ってんのさ、この子は。うちの料理は、いつだって光り輝くんだよ。冷めないうちに食べな!」

おばさんは、ラエルが、また何か学んだことがうれしくて仕方ありません。

そういえば、おばさんは、まるで天の丘のような存在です。みんなの未来を信じ、希望を与えているのですから。

 

 

 

~ 考えてみよう ~

第9話 天の丘に希望をみる

“森や海で働く人たちが、ユーロを沢山使うのはなぜだろう?

自然に囲まれて、まちより、はるかに自給自足なのに?”

ラエルの疑問に、あなたは答えることができたでしょうか。

所長からの問いかけ

課題を整理するために、少し、物語を振り返ってみましょう。

林業の村、奥谷では、乱れてしまった、木々が育つ時間を、どのようにして元に戻すかということでした。漁業の村、トュディーでは、強力すぎる自らの技術力を、いかにして、自然に無理のないものに転換、再生するかということでした。そして、今回の舞台である天の畑では、工場跡地の土壌再生と農場復活が課題でした。

いずれの地域も、望む、望まずに関わらず、マリツの中心地である“まちの時間”に引きずり込まれた末に、苦心を重ねているのでした。いずれにせよ、機械や燃料や薬剤を購入するために、ユーロを使わざるをえないことに、天の畑のおじさん同様、皮肉と辛い現実を感じます。

自然のルールの中で生きる暮らしだからこそ

関係の修復には大変な時間がかかる

ということでしょうか。

さて、工場跡地では、毒である廃液の除去に、別の毒を混ぜ中和させる工法が導入されています。現代でも通用するやり方ですが、大変な労力と時間がかかります。

更に、汚染が地下水脈にまで広がると、回復は極めて長期にわたることになるでしょう。このように、マリツが、大変、深刻な状況に置かれていることは、ぜひ、理解しておいてください。

にもかかわらず、そこに住み続ける意志は、どこから生まれるのか。これこそが、ものがたり終盤の大きなテーマになっていきます。

 

事例「みどりの人たちのテキスト(初版)」より

第〇章第〇項 太陽の力をいかした土地づくり